神戸に住んでいると、前が海。いつも海の気配に包まれている。そして、うしろは山。山の気配におおわれている。その山の向こう側、すぐ裏に、気をこらせばぽっかりと幻境が見える。すぐ近くだからいつでも行ける。いつでも行けると思っただけで行った気になる。赤湯にひたった気分になる。神戸に住む者の特権である。 仕事と仕事の合間に空いた時間。どこへ行こうか、どこへ出かけていってぼんやりすごそうか。思い立って出かける。車に乗らないから六甲越えというわけにはいかない。電車で出かける。六甲山を巻くように谷あいを電車は走る。途中、有馬口で向かいのホームで待っている電車に乗り換える。有馬口という名前が好き。車窓の木々を眺めつつ、葉の色に染まりつつ、だんだん近づいていくこの感じが好き。トンネルに入って、トンネル抜けると、幻境到着。 宿に入ってくつろぐ。豊かに溢れる湯に体を沈める。家をでてからの時間も距離もすこしだけど、すこしだからよけいに日常との落差を感じる。ありがたい近場の味である。 宿を出て、そぞろ歩き。広いゆるやかな石段をのぼると温泉寺。その奥に極楽寺。山茶花の白い花。急な石段のぼると高台に湯泉神社。広がる有馬の町。その向こうに北摂の山々。どんどん歩いていくと、橋があって鼓橋。川に沿ってさらに行くと、滝があって鼓ヶ滝。足元は紅葉。頭上に紅葉。全方位紅葉。 有馬銀座を見下す善福寺の山門くぐって人けのない寺内に入ると、本堂の前に糸桜二本。初冬の今、花も葉もつけていないこの木が花でおおわれる姿、若葉に揺れる姿、想像してみる。 ここに来て、木も草も石も土塀も立ち並ぶ店のたたずまいも人の声も、ものみな珍しく心安らぐ。