先日ようやく、二年がかりの大作「をんな紋」(角川書店・刊)の第二部を梓した。私にとっては大仕事を終えたことになる。そこで、たまには自分を甘やかしてもいいんじゃない、と実に十数年ぶりという有馬に出かけてみた。 昨年4月に北神戸線が繋がって以来、有馬へは家からほんの30分で行けるようになった。徳島まで何キロ、などと、思わぬ遠方の地が何気なく現れるのも驚きだ。しかし、交通網がそんなに便利になる以前も、西日本の人間にとって有馬がもっとも身近な保養地だったことには変わりはない。その証拠に、大浴場の扉をあけたとたん、湯煙の中から響いてきたのは子供の頃の私自身の足音だった。 ・・・これこれ、なんぼ広いからいうて、走ってこけたら危ないで。 後ろから、そんな父親の声が追いかけてくる。子供の私のはしゃぎぶりが蘇るようだ。「神有電車」の株を持っていたわが家では、年に一度、優待切符で私達を有馬へ連れて行くのが父の役目であった。 しかし、真っ赤に濁る金泉には、時折一緒に出かけた母の声も溶けている。 湯船に手拭いを浸けたらあかんよ。手拭いが真っ赤になってしまうから。 注意されても、手拭いがどうなるのかを見届けたくていたずらするのは、誰の子供時代にも共通のひとこまではないだろうか。いつもほどには叱らずに、あー、極楽極楽、と呟いた母が懐かしい。高度経済成長の時代、めったに休みをとらずに働いて早くこの世を去った母の、数少ない有馬での思い出である。 考えてみれば、長い歴史を持つ有馬は、どれほど多くの人々を迎え入れたことだろう。空前の円高や、浪費を屁とも思わぬバブル期、週休2日にフレックスとにわかに豊かさを体験してきても、大人になってふたたび訪れる有馬は、こんなにも懐かしく温かくくつろがせてくれる。ああ極楽極楽と、かつて母がつぶやいたのと同じ言葉を繰り返しながら、私はもう、「をんな紋」第三部の構想を練ったりして、すっかり蘇っているのだった。