秀吉の入湯と戦国の動き

西暦 元号 世の動きと秀吉の行動
1536年 天文5年 秀吉誕生(幼名「日吉丸」) 天文6年誕生説あり
1551年 天文20年 浜松の松下加兵衛に仕える
1554年 天文23年 織田信長に仕える(信長21歳 秀吉18歳)
1560年 永禄3年 桶狭間の戦いにより織田信長が台頭
1561年 永禄4年 ねねと結婚
1566年 永禄6年 信長の稲葉山城陥落後、千成瓢箪の馬印を用いることを許可される
1570年 元亀1年 金ヶ崎城攻略で、しんがりをつとめる
1573年 天正1年 横山城を預かる
木下姓から羽柴姓に改姓
室町幕府滅亡
小谷城(浅井氏)攻略
1574年 天正2年 長浜城主となる
1575年 天正3年 長篠の戦いにて武田氏攻略
1578〜80年 天正6〜8年 三木城別所氏攻略
1579年 天正7年 1545年に三木城主別所氏により攻略され、1578年当時有馬は三木城別所氏の支配下だったと考えられます。
2年の歳月におよんだ三木城攻略の一手段として有馬から湯山街道を手中におさめる手順として、秀吉は有馬郡への干渉を1579年より始めております。
1580年 天正8年 太閤検地
姫路城修築
1581年 天正9年 鳥取城吉川氏攻略
1582年 天正10年 高松城を水攻めにて攻略中に本能寺の変発生
本能寺の変 明智光秀の謀反により織田信長没
山崎の合戦 明智光秀攻略
1583年 天正11年 賎ヶ岳の戦いにて柴田勝家に勝利 織田信長の後継者となる
1583年 天正11年 8月、9月秀吉入湯
1584年 天正12年 8月秀吉入湯
1585年 天正13年 和泉・紀伊平定
四国制定後、関白となる
1585年 天正13年 ねねとともに1月に入湯、9月秀吉入湯
1586年 天正14年 太政大臣 豊臣秀吉誕生
1586年 天正14年 2月秀吉湯山へ入る
1587年 天正15年 九州平定
1588年 天正16年 側室 茶々(淀殿)との間に、鶴松誕生
刀狩令発布
1590年 天正18年 小田原の役 北条氏攻略 天下統一
1590年 天正18年 阿弥陀堂で大茶会を開く、千利休、小早川秀秋、有馬法師らが参加する。
1590年 天正18年 千利休に切腹命令
1590年 天正18年 9月 秀吉、淀を経て湯治す
1591年 天正19年 朝鮮出兵準備 秀次に関白をゆずり太閤となる
1591年 天正19年 愛子鶴松の死を悼み8月に秀吉入湯
1592年 文禄1年 文禄の役(朝鮮出兵)
側室 茶々(淀殿)との間に、秀頼誕生
1592年 文禄1年 10月秀吉入湯
1593年 文禄2年 ねねとともに9月に秀吉入湯
1594年 文禄3年 伏見城築城、吉野の花見
1594年 文禄3年 側室 京極氏4月に入湯、12月秀吉入湯
1597年 慶長1年 慶長の役(朝鮮出兵)4月
1596年 慶長1年 慶長の大地震 閏7月12日 
1597年 慶長2年 秀吉により震災復興
1598年 慶長3年 新しく湧き出た温泉(上の湯、ねがいの湯)に御殿を建てさせるが、秀吉は御殿を見ることができなかった。8月死去。
この御殿は平成7年発生の阪神大震災復興の際発掘され、現在は太閤の湯殿館として神戸市の運営により公開されています。太閤の湯殿館の庭は、御殿の庭が再現されています。
1600年 慶長5年 関が原の合戦

参考文献 有馬温泉史料 上巻 風早恂編 昭和56年発行

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