日本がアメリカと戦争に入ったのは、昭和16年12月8日であった。その翌年はまだまだ日本も余裕があって、私は一ヶ月花屋敷の病院にあった夏の学校で暮らした。そのときの遠足で生まれて初めて有馬温泉へ行った。坂の途中で大地から吹き上げて来る水を飲んだが、その水が炭酸を含んでいておいしかったことを今でも生き生きと覚えている。実はその後自動車で通過したことが一度あっただけで、残念ながらまだ一度も宿泊する幸運に恵まれたことはない。 私の家の系図をたどっていくと、戦国の末期から豊臣時代に至る。その祖は有馬重頼と称し、九州久留米藩の祖有馬豊氏の姉と結婚し、家老職をつとめた。この主家の有馬家は元は赤松であったが、室町中期に赤松義祐が摂津有馬の地頭になり有馬を称するようになったといわれている。私の祖重頼は一説によると、梶(又は加地)氏であり、摂津の人であったと言われている。ともあれ有馬を名乗って今日まで続いており、そのもとになった有馬の地名は、私にとって特別な意味を持っているのである。